取り返しの付かないことをした者に死刑は当然 [死刑賛成!!]
(試案)死刑反対論を検証する 1
http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-09-15-2
死刑という究極の刑罰以外には考えられない犯罪があるからこそ、死刑が必要なのです。理想的なのは、死刑判決を下す必要のある犯罪がなくなることです。死刑になりたくなかったらそういう犯罪を起こさなければいいだけの話です。
かけがえのない人命を奪う行為は法律に反したものです。反したことをしたから刑罰としての死刑があるのです。死刑はあくまでも合法的なものです。結果として人命が失われるという点に置いては、同じです。しかし、取り返しの付かないことをしたからこそ、取り返しの付かない死刑という刑罰があるのです。あらためて言うならば、死刑がいやならば、死刑になるようなことをしなければいいだけの話です。
2012-09-22 00:02
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>死刑という究極の刑罰以外には考えられない犯罪があるからこそ、
>死刑が必要なのです。
具体例をあげずに、決め付け論法を使っておられるので
合理的な反論は無理ですが、否定はしておきます。
死刑という究極の刑罰以外には考えられない犯罪など存在しないので、
死刑は不必要なのです。
>死刑になりたくなかったら
>そういう犯罪を起こさなければいいだけの話です。
犯罪を起こさないことが簡単かどうかは
個人の置かれた社会的環境によってまるで違います。
当然ながら環境を言い訳にして何をしてもいいわけではないので
無罪にはなりませんが、
究極の刑罰を使うには究極の悪人でなければ
釣り合いはとれません。
そして、究極の刑罰以外には考えられないような
非の打ち所の無い兇悪犯罪など歴史上ありません。
>かけがえのない人命を奪う行為は法律に反したものです。
>反したことをしたから刑罰としての死刑があるのです。
これだけでは、法律に反すれば死刑ということになり、
窃盗も法律に反するので、死刑ということになりますので
恐らく命を奪ったから命を奪い返すという等価の法則を
示唆してるものと思われますが、
個人の置かれた社会的環境によって等価にはなりません。
個人の置かれた社会的環境など被害者には関係ない
とよく言われますが、
被害者には関係ないから死刑というなら
かけがえのない人命を奪う交通事故も
死刑になります。
「わざとじゃない」ことなど被害者には
関係ないのですから。
>死刑はあくまでも合法的なものです。
>結果として人命が失われるという点に置いては、同じです。
>しかし、取り返しの付かないことをしたからこそ、
>取り返しの付かない死刑という刑罰があるのです。
取り返しの付かない過失致死という行為は
死刑にはなりません。
被害者は二度と帰ってきません。
被害者は夢も希望も全ての人権を奪われました。
「わざとじゃない」なんて関係ありません。
死刑がいやならば、注意を払えばいいだけです。
実際に注意を払い続け一生無事故の人はいっぱいいます。
しかし、死刑には出来ません。
つまり、取り返しの付かないことをしたから
取り返しの付かない死刑という刑罰があるのは
誤りです。
注意を払い続けることが簡単かどうかは
個人の置かれた現状況によって
まるで違うのです。
>あらためて言うならば、死刑がいやならば、
>死刑になるようなことをしなければいいだけの話です。
そもそも、こんな暴論が通じるのであれば、
死にたくなかったら、殺されなければいいだけの話ですから
無罪でも問題は無くなってしまいます。
私は「いやならば~しなきゃいいだけ」と言うことは
それによって、犯罪が増加していると思っています。
不思議にも死刑廃止国のほうが総じて治安が良いのは、
殺人予備軍に対して、決して差別をせずに、親身に
なぜそんな愚行を行うかも知れないような精神状態に
陥っているのか?を相談しやすい風土があるからだと
思っています。
その精神状態は環境によってはどうしようもないことで、
誰かの助けを得なければ、人智によって環境を変えることが
不可能な場合もあることを認めてあげることで、
相談を誘発して、未然に兇悪犯罪を防いでいる
と思われます。
逆に、「しなければいいだけ」と言うことは
犯罪を犯さないことは簡単なことで、
誰にでもできることなので
相談しても無駄だという見捨てられ効果を生み出し、
社会からの孤独感や不幸感や絶望感が限界を超えた時に
より兇悪犯罪を犯すという結果を誘発している
と思われます。
by 死刑反対派 (2013-04-30 23:28)