気持ちを切り替えるためにも死刑は必要 [死刑賛成!!]
なぜ国は死刑を隠しておきたいのか
http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/62020853.html より(コメント・抜粋)
『目には目を、歯には歯を』ではないですが、人を殺めた罪は自らの死を持って償うのは当然であると考えています。特に、何の罪もない人間がある日突然『むしゃくしゃしたから殺した』なんて事件を目にしたりすると強い憤りを感じるとともに、殺された本人は当然ながら残された家族の心情を思うとやり切れません。
万が一にもそれが自分の身内に起こったら。気が狂うほどの苦しみを味わう事になるでしょう。犯罪を犯した人間を死刑にした所で殺された人間は戻って来ないとは頭で理解出来ても、そんなに簡単には心の整理はつかないと思います。
死刑制度を反対する意見にも一理あると思いますが、大切な人を失った家族が気持ちを切り替えるためにも必要な制度だと思います。
2012-11-03 12:31
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>『目には目を、歯には歯を』ではないですが、
>人を殺めた罪は自らの死を持って償うのは
>当然であると考えています。
ハンムラビ法典は
「目をやられたら目を超えない範囲で
報復を認めよう」という制度です。
当然に加害者の生い立ちや過去の環境は
考慮されます。
被害者のことは、まず最初に考慮されて
100%同害報復を基準としますが、
その後、加害者の生い立ちや
過去の環境や病理等が考慮されて
適正な制裁に減じられます。
そして、現代社会に限らず、
100%の報復が適正となるような
非の打ち所の無い悪人による事件など
心理学的にあり得ません。
そもそも「目には目を」という考え方では、
過失致死でも死刑が基準となります。
その後、「わざとじゃない」が考慮されて
制裁がかなり減じられますが、
原則論の上では過失と故意を区別しません。
被害者にとって「わざとじゃない」など関係なく
被害者にとっては、故意でも過失でも被害は
同じだからです。
人を殺めた罪は自らの死を持って償うのが
当然と感じるが、
人の命をうっかり奪ってしまった場合には
死を持って償わなくても良いと感じるのは
自分もうっかり人の命を奪うかも知れない
と思っているからです。
人間はついつい自分に都合の良い考え方を
してしまうのです。
しかし、人間は弱い生き物なので、
自分が置かれている環境によっては
どんな犯罪を犯すかなど
分からないものです。
>特に、何の罪もない人間が
>ある日突然『むしゃくしゃしたから殺した』
>なんて事件を目にしたりすると
幸せの絶頂にいる正常な人間が凶悪犯罪を犯したことなど
歴史上ありません。
正常じゃないか
いたたまれない過去を背負っているか
どちらかです。
>強い憤りを感じるとともに、
>殺された本人は当然ながら
>残された家族の心情を思うとやり切れません。
>万が一にもそれが自分の身内に起こったら。
>気が狂うほどの苦しみを味わう事になるでしょう。
>犯罪を犯した人間を死刑にした所で
>殺された人間は戻って来ないとは頭で理解出来ても、
>そんなに簡単には心の整理はつかないと思います。
印象的な事件の被害者の思いだけを
想像されたようですが、
事故にあった本人やご家族の心情を考えたら
どうでしょうか?
居眠り運転や飲酒運転などの
事故の被害者の遺族の場合どうですか?
気が狂うほどの苦しみを味わう事になりませんか?
加害者が懲役30年になれば満足だと思いますか?
「懲役2~3年よりはマシだ」と思えると思いますか?
「わざとじゃなかったから仕方ない」
「不注意な人を死刑にしても死んだ人は戻って来ない」
と思えますか?
夢も希望も全ての人権を失い、
二度と生き返れない大切な人のことを考えたら
加害者に死刑になって欲しいと言いたくなりませんか?
「わざとじゃなかった」なんて
被害者には関係ありませんよね?
それが公言出来ないのはもっと可哀相ではないですか?
思うに、どんな事件であっても、
簡単には心の整理は付かないと思います。
だからと言って当然無罪にするわけではありません。
しかし、被害者やその遺族のことだけが事件の全てではなく
全ての事件において加害者にも、勘案すべき社会的な
問題があります。
それは一方を考慮したからと言って、
他方を無視することにはならず、
また、一方をあえて考慮しないということは
あってはならないのです。
by 死刑反対派 (2013-04-30 21:05)