死刑制度で犯罪はなくならない   [死刑反対!!]

死刑のない社会へ~日比谷公会堂大集会に死刑反対派として参加する

http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/62372315.html より(抜粋)

 

(コメント A )死刑制度で犯罪がなくなる訳ではありません。日本人は感情に流されやすい国民性ですが、人間の尊厳を国自体が踏みにじっていると思います。

 

(コメント B )おっしゃるとおり、私にも死刑制度が犯罪の抑止力になっているとは思えません。池田小学校事件の宅間氏のように、死刑になりたいから殺した、などという人もいたくらいですからね。私は死刑賛成派というのは感情に流されていることそのものだと考えています。しかし、犯罪被害者が感情に流されることは仕方がないことで、重要なのは、そのような経験がない人までが感情に流されてはならないという点だと私は考えています。


刑の執行を公開すべき  [死刑賛成!!]

【死刑問題】3人の死刑執行 下関無差別殺傷の上部死刑囚ら

http://shinobu007.blog.so-net.ne.jp/2012-03-29-1  より(抜粋)

 

良く「死刑があっても犯罪は減っていないから抑止力になっていない」という声を聞く。果たしてそうだろうか。だいたい人間は悪い方に動きやすい。何も無ければもっと犯罪が増えていたのに死刑によって思いとどまった件数も相当数あるとも言える。

 

今のような執行方法では密室で行われているため、執行後報道で触れる程度でしかない。これではとても教訓として生かせるわけがなく、執行は公開で行うべきだと私は思っている。

 

直接、執行現場を見る事もできるし、動画配信などでも公開する。何より、執行猶予のつかない中等度以上の犯罪で服役している囚人に教材として見せる。犯罪は厳しく罰せられることを服役中に実感させるべきなのだ。そして、そう言った犯罪で服役すると死刑執行を見なければならないということになれば、軽度の犯罪の抑止にもなる。

 

国として犯罪には厳罰で挑む姿を国民に見せつけるべきだ。


死刑には教育的意味がある  [死刑賛成!!]

死刑のない社会へ~日比谷公会堂大集会に死刑反対派として参加する

http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/folder/1511591.html より(コメント・抜粋)  

            

       

死刑になることを覚悟の上で犯行に及ぶ者もいれば、死刑になることを免れようと嘘八百を並べ立てる者もいるはずです。加害者の家族にしても、「死んで詫びろ」という人もいるはずです。                                

  

           

        

「死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。」に、死刑判決を受けたことによって初めてまともな人間性を取り戻した者もいたとあります。刑の執行を受けるまでのわずかな期間であってもそういう心境になれたということは、死刑にそれなりの教育的意味があるという事だと私は思います。  

        

残されたわずかな時間を有意義に生きることができるという点で死刑が確定した者は、無残に殺された被害者よりも恵まれた状況にあるとも言えます。無残に殺された被害者は、未来だけでなく苦労して築いた現在の地位も否定されたのです。被害者の無念を思えば、加害者がたとえ刑務所という閉じられた空間であってものうのうと生きていくことができるというのは極めて不公平ではないでしょうか。私は、不公平極まりないと思います。


子供が理不尽に殺されたりしたら…  [中立]

死刑囚の手記~林真須美さんの死刑執行に絶対反対します

http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/folder/1511591.html?m=lc&p=2 より(抜粋

      

賛成の理由に「凶悪犯罪の抑止力」が挙げられておりますが、果たして死刑制度を廃止したら、犯罪率が増加するのか?というところが疑問です。ただ近年、「平和ボケ」のレッテルを貼られている日本。外国人犯罪が増加している現状で最高刑を引き下げるのは現実的にあり得ないと思います。  

         

    

       

あくまで現状論ですので、子供が理不尽に殺されたりしたら、意見は変わると思いますが・・・


不公平を正すためにも死刑は必要  [死刑賛成!!]

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

http://psichiatra.blogspot.jp/2012/03/blog-post_8418.html?showComment=1347371081755 より(抜粋)  

       

取り返しの付かないことをした者は取り返しの付かない形での罪の償いが必要だと思います。それが死刑です。かけがえのない人命を身勝手な動機で奪っておきながら、刑務所という閉ざされた空間であるにしても、そこでのうのうと生きながらえるということは、不公平極まると思います。


人を殺めた罪は自らの死を持って償うのは当然  [死刑賛成!!]

なぜ国は死刑を隠しておきたいのか

http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/folder/1511591.html?m=lc&p=2 より(抜粋)  

      

『目には目を、歯には歯を』ではないですが、人を殺めた罪は自らの死を持って償うのは当然であると考えています。特に、何の罪もない人間がある日突然『むしゃくしゃしたから殺した』なんて事件を目にしたりすると強い憤りを感じるとともに、殺された本人は当然ながら残された家族の心情を思うとやり切れません。

   

        

万が一にもそれが自分の身内に起こったら。気が狂うほどの苦しみを味わう事になるでしょう。犯罪を犯した人間を死刑にした所で殺された人間は戻って来ないとは頭で理解出来ても、そんなに簡単には心の整理はつかないと思います。  

      

死刑制度を反対する意見にも一理あると思いますが、大切な人を失った家族が気持ちを切り替えるためにも必要な制度だと思います。冤罪の問題はまた別で、取り調べの完全可視化が必要だと思います。


死刑は償いの一つの形  [死刑賛成!!]

死刑反対論者の皆さんへ

http://muimusaku.iza.ne.jp/blog/entry/2781723/ より(抜粋)  

     

          

       

       

  

あるブログに、死刑を求める遺族の感情は「国家に隠れた新たな殺人に荷担したという事実は死ぬまで消えず、それからの人生を凍らせるものでしかない」とありました。  

           

どうしてそう断定できるのかと思います。そこにはそう断定するにあたっての論理的な説明はありませんでした。遺族になったことがあってそう言うのならわからなくもありませんが、たとえそういう経験があったとしても、それはその人個人の経験であって、他の遺族も同じだとは言えないはずです。  

          

取り返しのつかないことをした者には取り返しのつかない形での償いがあっていいと私は思います。死刑はまさにそのためにあるのだと思います。


人間として生きる資格は無い  [死刑賛成!!]

大人の子供化時代

http://www.endanji.com/?p=495&cpage=1#comment-2739 より(抜粋)

 

乳幼児殺しの犯人(実の親、義理の親) に対する刑罰が軽すぎます。

抵抗も出来ない真の弱者である乳幼児を殺した者は、死刑かまたは終身刑が当然だと 思うのです。人間として生きる資格は無いと思っています。


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