非論理的な冤罪の可能性の主張   [死刑賛成!!]

冤罪の可能性を根拠とする死刑廃止論の非論理性

http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-10-12-6 より(抜粋)

   

死刑反対論者が主張している「冤罪の可能性」の理屈は、「飛行機はいつ墜落するかわからない。だから、飛行機の利用は避けるべきだ」と言っているようなものです。すなわち、「冤罪の可能性があるから死刑制度を廃止する」ということが、「墜落する可能性があるからその利用を一切禁止する」ということです。

   

飛行機だけでなく、私たちの生活に欠かすことのできないのが自動車です。それは「走る凶器」と言われるほどに危険な乗り物です。これも死刑反対論者の理屈に従えば、「自動車は使うべきでない」となります。死刑反対論者は、この簡単明白な理屈を死刑に反対する根拠の一つとしています。こんな非論理的な理屈で死刑反対を訴えてそれになびく人がどれほどいるのでしょうか。


自分の家族などが殺されたとしても死刑反対 [死刑反対!!]

11月9日アキバ事件加藤智大公判を傍聴しました。

http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2010/11/11.html より(抜粋)

  

私は死刑反対です。しかし、このようなことは想像するだけでも不快なのですが、もし自分の家族などが殺されたとしても死刑反対でいたい。しかしそればかりはそうなってみないとわからない。私はそのときも死刑反対だと絶対にいえるかどうかまでは自信がありませんが、少なくとも現時点では反対です。そしてそのような悲劇が自分の身だけではなく、他の人にも降りかからないよう祈るばかりです。


みんなが不幸になるから死刑制度は廃止すべし  [死刑反対!!]

死刑について考えてみませんか

http://homepage2.nifty.com/sobanokai/soba0207.html より(抜粋)

     

生命はすべての人権の前提であり根幹です。死刑は殺人に他ならない、ということは言うまでもありません。それも国家という圧倒的な力を背景とした無抵抗な囚人への殺人です。

   

「死刑判決は出したくない。でも法律があるからしょうがないんだ」…これが裁判官の偽らざる気持ちだそうです。「やりたくない。でも仕事だからしょうがないんだ」…これが執行を直接担う刑務官の偽らざる気持ちだそうです。

    

「みんなが不幸になることならやめようよ」…これが私たちの率直な思いです。


「死刑にしろ」という主張は、火事場泥棒と変わらない  [死刑反対!!]

死刑賛成と、「被害者遺族感情」を利用して叫ぶ人を、私は決して信用しない  http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/62653703.html より(抜粋)

       

  

        

どんなに共感、同情したとしても、残された遺族の悲しみ、被害にあった人の肉体的な痛みやトラウマは、同じレベルでは絶対に共有できない。  

     

         

        

         

       

         

「遺族感情」「被害者感情」などと、わかったようなことをいって、しかも死刑にしろ、と声をあげるのは、誰かを自分のはけ口にして「やっちまえ!」という感情のために利用する、乱暴に言えば火事場泥棒のようなものだと考えます。 

              

 

寄り添う気持で、遺族、被害者の方々に同情を示すところまででそれ以上の声をあげる、つまり勢いに乗って死刑にしろ!などと踏み込むことは身の程知らずともいえるのではないか。  

        

被害者、遺族の人たちが感情的になるのはそれは仕方がない。しかし外側にいる者たちまでが感情的になってはいけない。


更生の可能性は問題外 [死刑賛成!!]

糞が!死ねい!!

http://blogs.yahoo.co.jp/takayuka0091/folder/1736182.html#64662729 より(抜粋)  

       

更生の可能性があるとか無い等どうでもいい!可能性の話を持ち出せば辛抱しんちゃんが金メダル取る可能性だってあるわい! 大切なのは更生して社会復帰する資格があるかどうかだろうが!こいつにその資格は無! だから死刑! こんな簡単な理屈も飲み込めないのか!福田の裁判費用や収監費用で既に数千万円の税金が投入されてる無駄だって看過し兼ねる!それにコイツ世に出したって第2第3の被害者が生まれるだけに決まってる!


安易に結論は出せない   [中立]

「死刑の確定件数が大台に」という記事を読んで ~ 死刑制度についての私見

http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/46750422.html より(コメント・抜粋)

 

以前人に薦められて柳田邦夫さんのその手の本を読んだことがあります。色んなことを考えさせられました。うかつにどうとはいえないようになってしまいました。死刑囚の本も読んだ事があります。 犠牲者の家族の手記もです。身内が犠牲になっても、たぶん外国のように100年ぐらいの刑期にして欲しいと願うでしょう。


死刑がどうして「殺人行為」なのか   [死刑賛成!!]

死刑反対論者への質問状(下書)

http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-10-05-4 より(抜粋)

      

死刑を国家が行う殺人行為だというのなら、緊急避難正当防衛の場合の殺人も許されないというのか(緊急避難や正当防衛の場合は「殺人」とは言わないのか)。  

       

包丁が殺人の凶器として使われるからといっても、それを社会から排除するわけにはいかないだろう。包丁の存在を認めた上で、その使用について規制すればいいこと(⇒ 銃砲刀剣類所持等取締法 )。


人の命は誰でも尊いのか  [死刑賛成!!]

死刑反対論者への質問状 14

http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-10-02-2 より(抜粋)  

        

死刑反対論者は、「人の命は差別されてはならない。誰でも平等に尊い」と言います。つまりそれは、たとえどんなに残虐非道な犯罪者であってもその命は尊重されなければならないということです。その命を尊重するという事が、死刑という形で命が奪われることに対して反対するという事になります。  

        

一見してその理屈は筋が通っているように思えます。しかし、その論拠である「人の命は差別なく尊い」という認識に大きな問題があります。「人の命は差別なく尊い」と言えるのは、法律に従って社会生活を送っている人の間で言えることではないのでしょうか。社会を構成する人の合意で成立した法律を無視してやりたい放題のことをしている者は、その範疇には入らないのではないのでしょうか。

           

法律を無視してやりたい放題のことをしている者は、法律で保護される対象から外されてやむを得ないでしょう。死刑もその延長上にあると言えるのではないのでしょうか。死刑になることがいやならば、刑罰として死刑以外に考えられないようなことをしなければいいだけの話です。


死刑は被害を最小限に抑えることができる  [死刑賛成!!]

死刑制度は人道をはずれていない

http://distantstarlight.blog18.fc2.com/blog-entry-966.html より(抜粋)

 

死刑の判決が出ても、すぐに死刑が執行されるわけではなく、大抵の人は、その前に高齢になり、病死しています。川端町事件の犯人の様に、中には40年経っても死刑が執行されていない例もあります。これは、再審請求がされている間は、あまり死刑が執行されないための様です。このため、死刑は、実質的には、ほとんど無期懲役に近いものだと言えます。こういう実態もあるし、被害を最小限に抑えることができると言う利点もあるので、死刑制度が人道にはずれているとは言えないと思います。


死刑制度は「抑止力」  [死刑賛成!!]

福島みずほ「死刑執行は人道に反する」

http://ameblo.jp/prisoner-no2/entry-10200912816.html より(抜粋)

     

                

       

僕の考えとしては死刑制度は「抑止力」だ。死刑の存在で、犯罪を思いとどまった輩も多いだろう。しかし、秋葉原の事件のとおりそれでも大量殺人が犯される場合がある。民主党はそれを理由に、死刑制度の廃止を唱えた。抑止力としての効果なし、と。    

         

死刑制度を堤防に例える。台風の際に高波が堤防を越え、民家を水浸しにしたとしよう。では「堤防は意味が無いし、見た目も格好悪いので壊します」と言ったらどうなる?今まで防げた何も一気に押し寄せるに違いない。民家は今までよりも、頻繁に水浸しになる事は明らかだ。  

       

「正義は我らにあり」と言い切ることでしか、意見を言えない矮小な奴らにモノを語る資格があるのか。


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