光母子殺害弁護団に弁護する資格なし  [死刑賛成!!]

光市母子殺害事件での死刑廃止論者21人の不愉快な仲間達

http://huhuhu.iza.ne.jp/blog/entry/210184/ より(抜粋)

  

本村氏の心中を考えると、本当に言葉にならない。死刑についてもよく勉強されているし彼はこの7年の間、本当に孤軍奮闘してきたと思う。そして、この裁判の行方を見守っているだろう、他の犯罪被害者の遺族の方々の思いすら、この鬼畜弁護団は踏みにじっていることになるのではないか??


死刑に犯罪抑止力はある  [死刑賛成!!]

見当外れな死刑廃止論をぶつ勝間和代さんを過去の呉智英さんに諭していただく。

http://d.hatena.ne.jp/manji_ex001/20120710/1341920446 より(抜粋)

   

アフリカのある国で、象の密猟が絶えなかった。そこで、「象の密猟をした者は死刑」という法律を作ったところ、象の密猟は、ほぼ無くなった。日本で考えたってそうです。例えば「万引き」です。

  

「万引きをしたら死刑」という法律を作ったらどうなるか? 誰が想像してもわかる通り、万引きは皆無になるでしょう。死刑に犯罪抑止力はあるんです。


人が人を殺すことがいいはずがない  [死刑反対!!]

松本サリン事件とオウム関連事件(フォーラム連続シンポ04 PART3)

http://www.jca.apc.org/stop-shikei/news/80/kohno.html より(抜粋)

 

私はずっと死刑に反対の立場をとってきた。人が人を殺すことがいいことであるわけではない。それから裁判にはミススジャッジがある。ミスジャッジで何もしていない人を殺してしまったときに、元へ戻しようがない。

 

それから、死刑が犯罪の抑止になる、極刑があるから犯罪の抑止になるいう言い方をしてるが、私はそんなことまったくないと思う。

 

犯罪をするときに自分の量刑を考える人はいないと思う。ここまでやったら無期だから、殺すのは止めようとか。犯罪というのは突発的に起こって、感情的に動いて、気がついたら殺してしまっていた、そういうものであって、常に量刑を考慮しながら犯罪をおかすなんてあり得ない。

 

そういう意味で死刑が犯罪の抑止になるということは違うと思う。死刑制度がいまある中で、犯罪が抑止されているか? いま、刑法犯は年間285万件で、少しも抑止になっていない。犯罪の抑止というのは私はまがい物だと思う。


人権を踏みにじった死刑囚に人権はない  [死刑賛成!!]

★日本の死刑はこのように執行される(刑務官は語った・・)

http://amor1029.exblog.jp/1754953 より(抜粋)

  

確定してから処刑までの時間が、死刑囚によって異なるのは、冤罪の可能性がある場合以外は、おかしいと思う。

 

私自身、死刑に関する書物はたくさん読みました。死刑囚が死刑確定後に、いい人に変わったとか書かれていることをよく目にしましたが、結果的には遅いんです。殺害された不幸な方々の土壇場での恐怖は、処刑場に連れていかれる死刑囚の心情以上ではないでしょうか。

 

確かに冤罪だろうと思う死刑囚もいるようですが、それ以外は、中国のように、短期間での処刑を見習うべきだと思います。

 

死刑囚は自ら人権放棄したと見なしてよいのではないでしょうか。


気持ちを切り替えるためにも死刑は必要  [死刑賛成!!]

なぜ国は死刑を隠しておきたいのか

http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/62020853.html より(コメント・抜粋)

 

『目には目を、歯には歯を』ではないですが、人を殺めた罪は自らの死を持って償うのは当然であると考えています。特に、何の罪もない人間がある日突然『むしゃくしゃしたから殺した』なんて事件を目にしたりすると強い憤りを感じるとともに、殺された本人は当然ながら残された家族の心情を思うとやり切れません。

 

万が一にもそれが自分の身内に起こったら。気が狂うほどの苦しみを味わう事になるでしょう。犯罪を犯した人間を死刑にした所で殺された人間は戻って来ないとは頭で理解出来ても、そんなに簡単には心の整理はつかないと思います。

 

死刑制度を反対する意見にも一理あると思いますが、大切な人を失った家族が気持ちを切り替えるためにも必要な制度だと思います。


非論理的な冤罪の可能性の主張   [死刑賛成!!]

冤罪の可能性を根拠とする死刑廃止論の非論理性

http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-10-12-6 より(抜粋)

   

死刑反対論者が主張している「冤罪の可能性」の理屈は、「飛行機はいつ墜落するかわからない。だから、飛行機の利用は避けるべきだ」と言っているようなものです。すなわち、「冤罪の可能性があるから死刑制度を廃止する」ということが、「墜落する可能性があるからその利用を一切禁止する」ということです。

   

飛行機だけでなく、私たちの生活に欠かすことのできないのが自動車です。それは「走る凶器」と言われるほどに危険な乗り物です。これも死刑反対論者の理屈に従えば、「自動車は使うべきでない」となります。死刑反対論者は、この簡単明白な理屈を死刑に反対する根拠の一つとしています。こんな非論理的な理屈で死刑反対を訴えてそれになびく人がどれほどいるのでしょうか。


自分の家族などが殺されたとしても死刑反対 [死刑反対!!]

11月9日アキバ事件加藤智大公判を傍聴しました。

http://www.the-journal.jp/contents/shinoda/2010/11/11.html より(抜粋)

  

私は死刑反対です。しかし、このようなことは想像するだけでも不快なのですが、もし自分の家族などが殺されたとしても死刑反対でいたい。しかしそればかりはそうなってみないとわからない。私はそのときも死刑反対だと絶対にいえるかどうかまでは自信がありませんが、少なくとも現時点では反対です。そしてそのような悲劇が自分の身だけではなく、他の人にも降りかからないよう祈るばかりです。


みんなが不幸になるから死刑制度は廃止すべし  [死刑反対!!]

死刑について考えてみませんか

http://homepage2.nifty.com/sobanokai/soba0207.html より(抜粋)

     

生命はすべての人権の前提であり根幹です。死刑は殺人に他ならない、ということは言うまでもありません。それも国家という圧倒的な力を背景とした無抵抗な囚人への殺人です。

   

「死刑判決は出したくない。でも法律があるからしょうがないんだ」…これが裁判官の偽らざる気持ちだそうです。「やりたくない。でも仕事だからしょうがないんだ」…これが執行を直接担う刑務官の偽らざる気持ちだそうです。

    

「みんなが不幸になることならやめようよ」…これが私たちの率直な思いです。


「死刑にしろ」という主張は、火事場泥棒と変わらない  [死刑反対!!]

死刑賛成と、「被害者遺族感情」を利用して叫ぶ人を、私は決して信用しない  http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/62653703.html より(抜粋)

       

  

        

どんなに共感、同情したとしても、残された遺族の悲しみ、被害にあった人の肉体的な痛みやトラウマは、同じレベルでは絶対に共有できない。  

     

         

        

         

       

         

「遺族感情」「被害者感情」などと、わかったようなことをいって、しかも死刑にしろ、と声をあげるのは、誰かを自分のはけ口にして「やっちまえ!」という感情のために利用する、乱暴に言えば火事場泥棒のようなものだと考えます。 

              

 

寄り添う気持で、遺族、被害者の方々に同情を示すところまででそれ以上の声をあげる、つまり勢いに乗って死刑にしろ!などと踏み込むことは身の程知らずともいえるのではないか。  

        

被害者、遺族の人たちが感情的になるのはそれは仕方がない。しかし外側にいる者たちまでが感情的になってはいけない。


更生の可能性は問題外 [死刑賛成!!]

糞が!死ねい!!

http://blogs.yahoo.co.jp/takayuka0091/folder/1736182.html#64662729 より(抜粋)  

       

更生の可能性があるとか無い等どうでもいい!可能性の話を持ち出せば辛抱しんちゃんが金メダル取る可能性だってあるわい! 大切なのは更生して社会復帰する資格があるかどうかだろうが!こいつにその資格は無! だから死刑! こんな簡単な理屈も飲み込めないのか!福田の裁判費用や収監費用で既に数千万円の税金が投入されてる無駄だって看過し兼ねる!それにコイツ世に出したって第2第3の被害者が生まれるだけに決まってる!


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