何回死刑になっても罪の償いはできない  [死刑賛成!!]

死刑は必要か否か

http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-10367002921.html より(抜粋)     

                

                         

     

            

   

      

     

最近 光市母子殺人事件を書いた本が出版され、しかも実名で書いているというので早速その本を取り寄せたところ、タイトルが「福田君を 殺して何になる」、それに黄色いオビに 死刑か無期懲役か? と書いてあったので私はとたんに読む気がしなくなり、何故こんな本を買ってしまったのかと腹がたちました。  

     

しかもなんで死刑囚に対して 福田君と なぜ「君」付けにするのでしょう。私はこの犯人福田は何回死刑になっても罪の償いはできないと思います。  

     

鬼畜に殺された愛する妻と赤ちゃんは永遠に帰って来ず、本村氏の心は永遠に哀しみの中にあり、癒されることなどないのです。


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死刑反対派

>私はこの犯人福田は何回死刑になっても罪の償いはできないと思います。
>鬼畜に殺された愛する妻と赤ちゃんは永遠に帰って来ず、
>本村氏の心は永遠に哀しみの中にあり、癒されることなどないのです。

なぜ一つの事件だけをことさらに取り上げているのに
その事件特有の被害者の苦しみではなく
よくある被害者の苦しみで死刑制度を語るのでしょうか?

例えば
過失致死で死んだ被害者のことは
考えなくて良いのでしょうか?

そもそもわざとやったかどうかなんて被害者には無関係です。
被害者は永遠に帰って来ず、その遺族の心は永遠に哀しみの中にあり、
癒されることなどありません。

でも過失致死で死んだ被害者だけを「仕方ない」で済ます気ですか?

それともわとやったわけじゃなければ、別問題でしょうか?

別問題であれば、別に被害者が永遠に帰って来なくとも
その遺族の心は哀しみから出て来るのでしょうか?
別問題であれば、別に被害者が永遠に帰って来なくとも
癒されることがあるのでしょうか?
別問題であれば、別に被害者が永遠に帰って来なくとも
罪の償いが出来るのでしょうか?

わざとやったわけじゃなければ、被害者やその遺族は
心から全く死刑を望まないとでも思っているのでしょうか?

被害者の心を無視しているのは死刑賛成派か死刑反対派か
どちらなのでしょうね?

どんな加害者であっても、その事件の裏には
想像を絶する凄まじいバックグラウンドがあるものです。

非の打ち所の無い悪人は、歴史上存在したためしが
ありません。

そして過失事情も加害者のバックグラウンドであることに
違いはありません。

どんな事件であってもその背景に潜む苦悩や病理は
考慮されるものなのです。

被害者の立場だけを見て、被害結果だけを見て、
死という同害にて制裁を受けるべきだと言うなら
過失致死でも死刑にすべきことになります。

逆に、どんなにわずかな社会的病理であっても、
加害者の環境にその病理が認められるのであれば、
100%同害の制裁にはならないはずです。

たとえ99.9%の制裁だったとしても
それは死刑とはなりません。

死刑は常に過剰報復なのです。

by 死刑反対派 (2013-05-02 18:22) 

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