人権を踏みにじった死刑囚に人権はない  [死刑賛成!!]

★日本の死刑はこのように執行される(刑務官は語った・・)

http://amor1029.exblog.jp/1754953 より(抜粋)

  

確定してから処刑までの時間が、死刑囚によって異なるのは、冤罪の可能性がある場合以外は、おかしいと思う。

 

私自身、死刑に関する書物はたくさん読みました。死刑囚が死刑確定後に、いい人に変わったとか書かれていることをよく目にしましたが、結果的には遅いんです。殺害された不幸な方々の土壇場での恐怖は、処刑場に連れていかれる死刑囚の心情以上ではないでしょうか。

 

確かに冤罪だろうと思う死刑囚もいるようですが、それ以外は、中国のように、短期間での処刑を見習うべきだと思います。

 

死刑囚は自ら人権放棄したと見なしてよいのではないでしょうか。


nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 3

死刑反対派

>死刑囚が死刑確定後に、
>いい人に変わったとか書かれていることをよく目にしましたが、
>結果的には遅いんです。
>殺害された不幸な方々の土壇場での恐怖は、
>処刑場に連れていかれる死刑囚の心情以上ではないでしょうか。

過失致死でもほとんどの人は事故後にすごく反省しますが、
結果的には遅いのです。

不運にも悲惨な事故に巻き込まれてしまった不幸な方々の恐怖は
処刑場に連れていかれる死刑囚の心情以上ではないでしょうか。

そう考えると、過失事件であっても被害者のことを考えれば
死刑でなければ釣り合いが取れなくなります。
しかしそんなわけには行きません。

確かに、加害者の立場に立てば、故意と過失とは違います。
しかし、被害者の立場に立てば、殺人も過失事件も同じです。
「わざとじゃない」なんて被害者には全く関係ありません。
なぜ、過失の場合だけは加害者のことを考えても
被害者のことを無視したことにならないのでしょうか?

いえ、そもそも加害者のことを考えたからと言って
被害者のことを無視したことにならないのです。

無罪にするわけではありませんから。

確かに被害者のことだけを考えれば、加害者の不幸は蜜の味でしょう。

しかし、非の打ち所の無い悪人はいません。
どんな人間にも一縷の人権は残るのです。

>確かに冤罪だろうと思う死刑囚もいるようですが、

冤罪の疑いが0%の犯罪者などいません。

どんな証拠にも「捏造」という行為が存在する以上、
冤罪0%なんてあり得ません。

>死刑囚は自ら人権放棄したと見なしてよいのではないでしょうか。

「放棄の意思」は不明確です。

例えば、疲れている状態で意図して運転した時点で、
他人の人権を奪ってしまう可能性を認識しています。
集中を持続するか、できなければ運転を休憩すれば、
事故は避けられるのに、それをしないのですから
意図的です。

自ら人権放棄したと見做せるでしょう。

また、故意の殺人であっても、
精神病であれば自ら人権放棄したとは言えませんし、
殺人が奨励されるような環境に育った場合には
人権放棄の意思なんて当然ありません。

果てには、
家族同然に可愛がっていた子犬が殺されたら
当然に復讐すると思いますが、
家族同然に可愛がっていたゴキブリの復讐なら
どうなるのでしょう?

更にそれが、誤想での復讐だったら
どうなるでしょう?


善悪の境界線は思うほどに明確ではありません。

非の打ち所の無い悪人(存在しませんが)以外は
死刑は過剰報復になります。

by 死刑反対派 (2013-04-30 18:39) 

死刑賛成派

私も死刑賛成です。

世の中には
残酷な犯罪がたくさんあります。

私も昔、犯罪被害にあいました。

その時の犯人は
同じ人間だとは思えないくらい残酷なことを笑いながら
楽しんでいました。

そんな最低最悪な人間なのに
いざっ裁判になると
世間は「加害者の人権」などと言います。

では
被害者の人権はどうなるのですか?

加害者の人権は世間が守り
被害者の人権は誰も守らない

犯罪者は
死をもって償うとゆう考えではなく
ただそうゆう犯罪を犯すと死しかないのだと
もっと理解するべきです

軽い気持ちで犯罪を犯す人を少なくするべきです

大きなニュースにならなくても
残酷な犯罪にあった被害者はたくさんいます

生きてる被害者のその後の人生は
ただただ生き地獄なのですから
by 死刑賛成派 (2013-05-04 18:48) 

死刑反対派

>世の中には
>残酷な犯罪がたくさんあります。
>私も昔、犯罪被害にあいました。
>その時の犯人は
>同じ人間だとは思えないくらい残酷なことを
>笑いながら楽しんでいました。

被害者本人に対して犯人の生い立ち等を知れ、
とは言いません。

しかし、客観的に判断すべき場合には、
事件の背景に潜む社会的病理を考慮しなければ
ならないのです。

非の打ち所の無い悪人など
歴史上かつて存在したためしが
無いのです。

どうしても「いる」というのであれば、
被害者の方に残酷なことを言わなければなりませんが、
事件の背景をもっと知るべきです。

どうしても「いる」というのであれば、
犯人の生い立ちを考慮してみろと言わざるを得なく
なってしまいます。

社会には、いかなる手段も講じようがない苦悩と病理が
渦巻いているのです。

そしてあなたは、視野を広げ、他の事件の被害者についても
知らなければならないでしょう。

過失致死の場合には、加害者を死刑にできません。
彼らの気持ちになってみたことはありますか?

本当にあなたに我々過失致死被害者遺族の気持ちが
分かるのでしょうか?

「わざとじゃない」なんて被害者には関係ありません。
過失致死の被害者でも、当然に夢や希望を持っていたのです。
過失致死の被害者にも、本来なら明日があったはずなのです。
過失致死であっても、被害者は全ての人権を奪われるのです。
なぜ死刑にできないのでしょうか?

過失致死被害者の人権無視ですか?

それともあなたは、過失致死事件の場合であっても、
加害者の死刑に賛同してくれますか?

>そんな最低最悪な人間なのに、いざっ裁判になると
>世間は「加害者の人権」などと言います。

逆です。

世間一般は「加害者に人権など無い」と言います。

被害者のことだけを考え、加害者の苦悩は何一つ考慮せず、
加害者のその悪業だけをことさらに強調して捉えて取り上げ
一縷の事情も考慮すべきでないような最低最悪な人間だと
決め付けるのです。

加害者の生い立ちを、ほんのわずかにでも考慮すると、
「そんなの被害者には関係無い!」などと言います。
「被害者の人権は?」と言います。

加害者のことを、ほんのわずかにだけ考慮して、
ほんのわずかにある「仕方なかった部分」に目を向けると
「それならなにをしてもいいのか?」
と言います。

なのに、過失致死になると
途端に世間は被害者のことなど
考えてもくれません。

途端に「加害者の人権」などと言い始めます。

「なぜ死刑にできないのでしょうか?」と聞くと
「わざとじゃない」なんて被害者には関係無いのに
「わざとじゃないから」と言います。

「わざとじゃなければなぜ死刑じゃないのか?」を聞くと
「仕方ないから」と言われます。

「我々被害者遺族の人権は?」と聞くと
「犯人を殺せば被害者は生き返るのですか?」
と言われます。

「わざとじゃなければ何をしてもいいのか?」と聞くと
「無罪にするわけではない」と言います。

究極の矛盾です・・・

加害者のことを考えれば、死刑にすべきではないことは
分かります。

社会には、いかなる手段も講じようがない現実があるのは
分かっています。

だから、心は死刑を望みますが、
死刑にすることが正しいことではないのは
分かっています。

しかし、それは故意の殺人でも同じです。

故意の殺人の場合においては、その者が最低な行為を
やってしまったという事実は認めます。

しかし、非の打ち所の無い悪人などいません。

ほんのわずかに加害者のことを
考慮に入れるだけです。

非常に重い罰が与えられます。

過失致死よりもはるかに重い罰が
与えられます。

だから被害者の人権も最低限は
考慮されているはずです。

ただ100%の完全報復である死刑のみを
避けるだけです。

この社会には、
いかなる手段も講じようがない病理が
あります。

視野を広くもって、それを様々な被害者において
平等に分かち合うべきなのです。

>では
>被害者の人権はどうなるのですか?
>加害者の人権は世間が守り
>被害者の人権は誰も守らない

加害者を無罪にせよとは言ってません。
非常に重い罰が与えられます。

最低限は、被害者の人権も考慮されているはずです。

いや、過失致死の場合、死刑の可能性すら言及されないのに、
故意の事件の場合は、同害報復から減刑されることになる以上、
それは真っ先に最大限考慮されていると言えます。

死刑じゃない限り、加害者にどんな重い罰を与えても、
「加害者の人権は世間が守り、被害者の人権は誰も守らない」
というのでは、全く論拠を欠きます。

それでも死刑以外の罰は被害者の人権無視だと言うなら、
何度も言いますが、過失致死の場合はどうなりますか?

過失致死の被害者の人権はどうなるのですか?

うっかり加害者の人権は世間が守り
悲惨な被害者の人権は誰も守らないのです。
明らかに差別です。

過失致死は関係ないと言いますか?

過失致死は関係ないから
過失致死の場合だけ、被害者の全人権を奪っても
加害者は全人権を奪われないのでしょうか?

過失致死は関係ないから過失致死の場合だけ、
「わざとじゃなかった」などという
被害者にはなんの関係も無い加害者の勝手な事情で
死刑を回避できるのでしょうか?

過失致死は関係ないから
過失致死の場合だけ、加害者の人権は世間が守り
被害者の人権は誰も守らなくても
良いのでしょうか?

>犯罪者は
>死をもって償うとゆう考えではなく
>ただそうゆう犯罪を犯すと死しかないのだと
>もっと理解するべきです

意味不明です。

意見が無理矢理過ぎますので、
無理矢理反論しておきます。

命を奪う制裁など存在し得ないのだと
もっと理解するべきです。

命を奪うことが正しいことなど存在しないと
もっと理解するべきです。

命を奪うことが正しいわけではなく
ただ単に誰かの命を奪いたいだけなのだと、
自分自身の心を知るべきです。

命を奪うことが正しいわけではなく
ただ単に自分以外の誰かにも不幸になって欲しいのだと、
犯人の不幸という蜜の味を味わいたいだけなのだと、
自分自身の心を知るべきです。

>大きなニュースにならなくても
>残酷な犯罪にあった被害者はたくさんいます
>生きてる被害者のその後の人生は
>ただただ生き地獄なのですから

被害者はたくさんいます。

世の中には様々な被害者がいるのです。

全ての事件において被害者遺族のその後の人生は
ただただ生き地獄です。

しかし、全ての事件において、
加害者の背景にも想像を絶する苦悩と病理が
渦巻いています。

その全ては人智を超える事象であり、
最低限の範囲を超えて法で裁くことに意味は
ありません。

やるなら、加害者の死刑などではなく、
被害者遺族のフォローに尽きます。

やるなら、応報刑などではなく、
犯罪を抑止出来るような警察の活動です。
死刑にするなどと彼ら病人を脅しても
無駄です。

やるなら、逆に犯罪予備軍を差別しないで、
犯罪を犯す前に誰かに相談しやすくなるような
誰かに助けを求められる制度作りや風土作り等
未然の予防対策です。

死刑にするなどと絶望の淵にいる人を脅しても
絶望が現実化するだけです。

被害者のことだけを考えるのであれば、
過失致死罪も死刑にすべきです。

by 死刑反対派 (2013-05-05 12:28) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。