死刑には教育的意味がある [死刑賛成!!]
死刑のない社会へ~日比谷公会堂大集会に死刑反対派として参加する
http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/folder/1511591.html より(コメント・抜粋)
死刑になることを覚悟の上で犯行に及ぶ者もいれば、死刑になることを免れようと嘘八百を並べ立てる者もいるはずです。加害者の家族にしても、「死んで詫びろ」という人もいるはずです。
「死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。」に、死刑判決を受けたことによって初めてまともな人間性を取り戻した者もいたとあります。刑の執行を受けるまでのわずかな期間であってもそういう心境になれたということは、死刑にそれなりの教育的意味があるという事だと私は思います。
残されたわずかな時間を有意義に生きることができるという点で死刑が確定した者は、無残に殺された被害者よりも恵まれた状況にあるとも言えます。無残に殺された被害者は、未来だけでなく苦労して築いた現在の地位も否定されたのです。被害者の無念を思えば、加害者がたとえ刑務所という閉じられた空間であってものうのうと生きていくことができるというのは極めて不公平ではないでしょうか。私は、不公平極まりないと思います。