殺人があるから死刑がある [死刑賛成!!]
死刑反対論者への問題提起
http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-09-11-2 より(抜粋)
死刑は他者の生きる権利を侵害した残虐な犯罪者に下される刑罰。殺人があるから死刑がある。
死刑囚にかかる、「食費」やら「被服費」やら「光熱費」やら「教養娯楽費」やら「医療保健費」やら「交通通信費」やら「その他雑費」やらを全て、死刑反対派のポケットマネーでまかなうなら、死刑を廃止にしてもかまわない。
(死刑反対論者は)自分の家族や友人がさんざん陵辱されたあげく拷問まがいの殺され方をして、そして捕まった犯人が全く反省してないどころか「とてもおもしろかった」とか笑顔で言っても同じ事言えるのか。
死刑は廃止してはならない [死刑賛成!!]
本村洋の復讐論と安田好弘の怠業 - 山口県光市母子殺害事件
http://critic2.exblog.jp/3251270/ より(抜粋)
死刑は廃止してはならない。死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取る、その非業さと残酷さを思い知ることで、等価だという真実の裏返しで、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、そこに死刑の意義があるのだ、とそのように言っていた。
私はテレビの前で感動し、またそれを23歳の若さで、あれほどの悲しみと不幸と混乱の中で、毅然と整然と説得的な論理に纏めて言葉にできた本村洋に強い尊敬の念を抱いた。そして彼の復讐論に感銘を受け、彼の意志と信念を強く支持する気分になった。心を揺り動かされた。
刑の執行を公開すべき [死刑賛成!!]
【死刑問題】3人の死刑執行 下関無差別殺傷の上部死刑囚ら
http://shinobu007.blog.so-net.ne.jp/2012-03-29-1 より(抜粋)
良く「死刑があっても犯罪は減っていないから抑止力になっていない」という声を聞く。果たしてそうだろうか。だいたい人間は悪い方に動きやすい。何も無ければもっと犯罪が増えていたのに死刑によって思いとどまった件数も相当数あるとも言える。
今のような執行方法では密室で行われているため、執行後報道で触れる程度でしかない。これではとても教訓として生かせるわけがなく、執行は公開で行うべきだと私は思っている。
直接、執行現場を見る事もできるし、動画配信などでも公開する。何より、執行猶予のつかない中等度以上の犯罪で服役している囚人に教材として見せる。犯罪は厳しく罰せられることを服役中に実感させるべきなのだ。そして、そう言った犯罪で服役すると死刑執行を見なければならないということになれば、軽度の犯罪の抑止にもなる。
国として犯罪には厳罰で挑む姿を国民に見せつけるべきだ。
死刑には教育的意味がある [死刑賛成!!]
死刑のない社会へ~日比谷公会堂大集会に死刑反対派として参加する
http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/folder/1511591.html より(コメント・抜粋)
死刑になることを覚悟の上で犯行に及ぶ者もいれば、死刑になることを免れようと嘘八百を並べ立てる者もいるはずです。加害者の家族にしても、「死んで詫びろ」という人もいるはずです。
「死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。」に、死刑判決を受けたことによって初めてまともな人間性を取り戻した者もいたとあります。刑の執行を受けるまでのわずかな期間であってもそういう心境になれたということは、死刑にそれなりの教育的意味があるという事だと私は思います。
残されたわずかな時間を有意義に生きることができるという点で死刑が確定した者は、無残に殺された被害者よりも恵まれた状況にあるとも言えます。無残に殺された被害者は、未来だけでなく苦労して築いた現在の地位も否定されたのです。被害者の無念を思えば、加害者がたとえ刑務所という閉じられた空間であってものうのうと生きていくことができるというのは極めて不公平ではないでしょうか。私は、不公平極まりないと思います。
不公平を正すためにも死刑は必要 [死刑賛成!!]
死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
http://psichiatra.blogspot.jp/2012/03/blog-post_8418.html?showComment=1347371081755 より(抜粋)
取り返しの付かないことをした者は取り返しの付かない形での罪の償いが必要だと思います。それが死刑です。かけがえのない人命を身勝手な動機で奪っておきながら、刑務所という閉ざされた空間であるにしても、そこでのうのうと生きながらえるということは、不公平極まると思います。
人を殺めた罪は自らの死を持って償うのは当然 [死刑賛成!!]
なぜ国は死刑を隠しておきたいのか
http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/folder/1511591.html?m=lc&p=2 より(抜粋)
『目には目を、歯には歯を』ではないですが、人を殺めた罪は自らの死を持って償うのは当然であると考えています。特に、何の罪もない人間がある日突然『むしゃくしゃしたから殺した』なんて事件を目にしたりすると強い憤りを感じるとともに、殺された本人は当然ながら残された家族の心情を思うとやり切れません。
万が一にもそれが自分の身内に起こったら。気が狂うほどの苦しみを味わう事になるでしょう。犯罪を犯した人間を死刑にした所で殺された人間は戻って来ないとは頭で理解出来ても、そんなに簡単には心の整理はつかないと思います。
死刑制度を反対する意見にも一理あると思いますが、大切な人を失った家族が気持ちを切り替えるためにも必要な制度だと思います。冤罪の問題はまた別で、取り調べの完全可視化が必要だと思います。
死刑は償いの一つの形 [死刑賛成!!]
死刑反対論者の皆さんへ
http://muimusaku.iza.ne.jp/blog/entry/2781723/ より(抜粋)
あるブログに、死刑を求める遺族の感情は「国家に隠れた新たな殺人に荷担したという事実は死ぬまで消えず、それからの人生を凍らせるものでしかない」とありました。
どうしてそう断定できるのかと思います。そこにはそう断定するにあたっての論理的な説明はありませんでした。遺族になったことがあってそう言うのならわからなくもありませんが、たとえそういう経験があったとしても、それはその人個人の経験であって、他の遺族も同じだとは言えないはずです。
取り返しのつかないことをした者には取り返しのつかない形での償いがあっていいと私は思います。死刑はまさにそのためにあるのだと思います。
人間として生きる資格は無い [死刑賛成!!]
大人の子供化時代
http://www.endanji.com/?p=495&cpage=1#comment-2739 より(抜粋)
乳幼児殺しの犯人(実の親、義理の親) に対する刑罰が軽すぎます。
抵抗も出来ない真の弱者である乳幼児を殺した者は、死刑かまたは終身刑が当然だと 思うのです。人間として生きる資格は無いと思っています。
「取り返しのつかないこと」をしたのだから死刑は当然 [死刑賛成!!]
磯谷利恵さんのお母さまからのメッセージ
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2009/03/post-0923.html より(抜粋)
利恵さんのお母さまが、これまでの1年7ヶ月、どんな思いでがんばって来たのか、それは、「人の心」があれば誰にでも分かるように、利恵さんの無念を晴らすことに他ならない。お母さまの唯一の望みは、自分の宝である利恵さんを返して欲しいってことだ。だけど、それは、叶わないことなのだ。つまり、この3人の鬼畜は、わずかなお金を奪うために、何の罪もない無関係な人間の命を奪い、被害者とご遺族の人生をメチャクチャにしたという「取り返しのつかないこと」をしたワケだ。「取り返しのつかないこと」をしたんだから、命という「取り返しのつかないこと」で償うのは当然だろう。
加害者は死刑でよい [死刑賛成!!]
大津市中2いじめ自殺事件/加害者は死刑でよい
http://distantstarlight.blog18.fc2.com/blog-entry-997.html より(抜粋)
なぜ学校でいじめが蔓延するのかと言えば、加害者が罰せられないからです。もし主犯の少年や少女が死刑になれば、いじめを行う人は激減すると思います。それにより、たくさんの尊い命が救われ、たくさんの子供がいじめの苦痛から解放されれば、これらの悪人どもを死刑にする価値が十分あると思います。
いじめ自殺を殺人と定義する様に刑法を改める必要があると思います。下らない法案ばかり成立させる暇があったら、政治家はいじめ自殺をいじめ殺人として刑罰を科す様に刑法を改めないといけません。これが一番必要なことだと思います。