安易に結論は出せない [中立]
「死刑の確定件数が大台に」という記事を読んで ~ 死刑制度についての私見
http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/46750422.html より(コメント・抜粋)
以前人に薦められて柳田邦夫さんのその手の本を読んだことがあります。色んなことを考えさせられました。うかつにどうとはいえないようになってしまいました。死刑囚の本も読んだ事があります。 犠牲者の家族の手記もです。身内が犠牲になっても、たぶん外国のように100年ぐらいの刑期にして欲しいと願うでしょう。
死刑がどうして「殺人行為」なのか [死刑賛成!!]
死刑反対論者への質問状(下書)
http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-10-05-4 より(抜粋)
死刑を国家が行う殺人行為だというのなら、緊急避難や正当防衛の場合の殺人も許されないというのか(緊急避難や正当防衛の場合は「殺人」とは言わないのか)。
包丁が殺人の凶器として使われるからといっても、それを社会から排除するわけにはいかないだろう。包丁の存在を認めた上で、その使用について規制すればいいこと(⇒ 銃砲刀剣類所持等取締法 )。
人の命は誰でも尊いのか [死刑賛成!!]
死刑反対論者への質問状 14
http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-10-02-2 より(抜粋)
死刑反対論者は、「人の命は差別されてはならない。誰でも平等に尊い」と言います。つまりそれは、たとえどんなに残虐非道な犯罪者であってもその命は尊重されなければならないということです。その命を尊重するという事が、死刑という形で命が奪われることに対して反対するという事になります。
一見してその理屈は筋が通っているように思えます。しかし、その論拠である「人の命は差別なく尊い」という認識に大きな問題があります。「人の命は差別なく尊い」と言えるのは、法律に従って社会生活を送っている人の間で言えることではないのでしょうか。社会を構成する人の合意で成立した法律を無視してやりたい放題のことをしている者は、その範疇には入らないのではないのでしょうか。
法律を無視してやりたい放題のことをしている者は、法律で保護される対象から外されてやむを得ないでしょう。死刑もその延長上にあると言えるのではないのでしょうか。死刑になることがいやならば、刑罰として死刑以外に考えられないようなことをしなければいいだけの話です。
死刑は被害を最小限に抑えることができる [死刑賛成!!]
死刑制度は人道をはずれていない
http://distantstarlight.blog18.fc2.com/blog-entry-966.html より(抜粋)
死刑の判決が出ても、すぐに死刑が執行されるわけではなく、大抵の人は、その前に高齢になり、病死しています。川端町事件の犯人の様に、中には40年経っても死刑が執行されていない例もあります。これは、再審請求がされている間は、あまり死刑が執行されないための様です。このため、死刑は、実質的には、ほとんど無期懲役に近いものだと言えます。こういう実態もあるし、被害を最小限に抑えることができると言う利点もあるので、死刑制度が人道にはずれているとは言えないと思います。
死刑制度は「抑止力」 [死刑賛成!!]
福島みずほ「死刑執行は人道に反する」
http://ameblo.jp/prisoner-no2/entry-10200912816.html より(抜粋)
僕の考えとしては死刑制度は「抑止力」だ。死刑の存在で、犯罪を思いとどまった輩も多いだろう。しかし、秋葉原の事件のとおりそれでも大量殺人が犯される場合がある。民主党はそれを理由に、死刑制度の廃止を唱えた。抑止力としての効果なし、と。
死刑制度を堤防に例える。台風の際に高波が堤防を越え、民家を水浸しにしたとしよう。では「堤防は意味が無いし、見た目も格好悪いので壊します」と言ったらどうなる?今まで防げた何も一気に押し寄せるに違いない。民家は今までよりも、頻繁に水浸しになる事は明らかだ。
「正義は我らにあり」と言い切ることでしか、意見を言えない矮小な奴らにモノを語る資格があるのか。
何が国民感情か、被害者感情か [死刑反対!!]
原田正治『弟を殺されて考えたこと』
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/harada.htm より(抜粋)
裁判では、「被害者感情」とか「国民感情」という言葉が使われて、死刑判決が下ります。そして、執行があった時にもその言葉が言われます。そして、それで事件が終わったんだということになるんです。だけど、そう思うのは事件に関係のない人だけです。
肉親を亡くされた人たちはどういう形であれ、心の傷はいつまでも残るんです。それを少しでもわかってもらいたい。ところが、わかろうとする気持ちを持っている人が少ない。
わかったようなことを言いながら人の命をもてあそんでいるのが、今の裁判の場であり、マスコミなんです。そういうことがわかんないまま、何が国民感情か、被害者感情かと思うんですね。
そして、国民感情、被害者感情と言う人にかぎって、自分はそういう事件には遭遇しないんだと思い込んでいます。僕自身もこんなことになるとは夢にも思ってなかったから、そのことはよくわかるんですよ。
加害者を死刑にしても被害者の人権は回復されない [死刑反対!!]
死刑反対の方にお伺いします。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313011278 より(抜粋)
>「たとえどんな殺人者でも人を殺してはいけない、人権がある。」と主張するなら殺された人の人権やその遺族の人権はどうなんでしょう?
では逆にご質問者さまに伺いますが、加害者が死刑になれば、被害者の人権は回復するのですか? 回復するのであれば私も死刑制度に賛成しますが。いくら死刑賛成者が「被害者の人権はどうなるんだ?」と騒いだところで被害者の人権は回復されません。「回復させられる」と本気で思っているとしたら大笑いです。
冤罪は別次元の問題 [死刑賛成!!]
「死刑」 カスターレビュー
私は死刑制度に賛成である。冤罪の危険性を理由に反対する人もいるが、100%黒という事件も実際に存在している以上、冤罪についてはまた別の次元で議論すべきであるし、それ以外の反対理由はつまるところ加害者の人権につきると思う。
死刑廃止を訴える人々は個人としては優しすぎる人々なのだろう。ただ優しさは時に残酷なまでに他人を傷つけてしまう。もし自分のたいせつな人が無残にもいのちを奪われたとしたら・・。私などはその想像力さえあれば、と思ってしまうのだが。
感情的になるのはやむを得ない [死刑賛成!!]
書評に見つけた死刑反対論者批判
http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2012-09-25-7 より(抜粋)
極悪殺人犯の命だって貴重な“人命”であることに変わりはなく、それは無理に奪ってはならぬ、とても尊いもの。。。そりゃ、そういう考え方の人もいるでしょう。
でも『もし家族が殺されたら or 恋人が殺されたら、私は犯人を絶対に許せないし許さない!!』――そういうヒトの愛し方だってあるんじゃないでしょうか。
それをいかにも思慮が足りないように言ったり、感情的で浅はかであるように言ったりするのは間違いではないでしょうか。
加害者側の人権も無視できない [死刑反対!!]
人の命を奪う死刑は人道的か否か
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7583182.html より(抜粋)
被害者の人権は無論大切です。しかし、加害者側の人権というのも無視できるものではありません。たとえ心は悪いとしても、人間ということに変わりはありません。犯罪者は人間ではないから人権など無いという見方は、僕は明らかに間違いだと思います。だれしも、そうなり得る一面を持っているわけですから。単に自分のそういう面と向き合いたくないという気持ちの現われであるようにすら感じます。